1 二拠点生活、災害避難基地という言葉からわかるように他に「本拠的生活」の場があることを前提にしているのでそこから平時、有事に移動・避難が可能の地域ということになります。
多くは大都市から○○㎞以内程度ということになるでしょう。限界分譲地はほとんどが都市周縁部に立地しているのでこの点はクリアできると思います。
実際に公共交通機関が利用できるかではなく絶対的な距離で考えます。都市内部のように頻繁に電車・バスが来るようなところは価格が高くそもそも限界分譲地にはなりません。
本拠地から車【二輪を含む】で長くても2時間、徒歩1~2日で行けるところすなわち50km以内を選びたいですね。
2 災害避難基地として機能することを前提とするので次の所は避けます。
・海岸沿い
・山のふもと、裏山の前
・川、沢のそば
・活断層がわかっているそば
山を買ってプライベイトキャンプ地を作りたいという人で沢があれば最高という方
がいますが私に言わせれば最悪です。幅10センチの沢も〇年に一度の豪雨で幅3mの
滝になり、土石流発生個所となります。
3【東京圏と千葉県の例】
東京で働く人が第一に候補と考えるのが隣県千葉県なのでここで考えてみましょ
う。
*外房は避けるべきです。神奈川の湘南と同じく直接太平洋に面しており津波、高潮
の被害をもろに受けます。東日本大震災では九十九里北部の地が津波で14名亡くなっ
ています。
*内房はどうかと言えば、確かに内湾なのでそこまでの津波被害はないようですが大
正12年の関東大震災の6年前、約5~6mの津波が東京湾内湾北部に押し寄せかなりの
死傷者を出しています(死者・行方不明1324名。能登半島地震の6倍!)。このあたり
口にする人が少ないようですがお調べください。
【以下Wikipediaより引用】
大正6年の高潮災害(たいしょう6ねんのたかしおさいがい)は、1917年(大正6年)の10月1日に東京湾岸で発生した、台風による高潮災害。特に東京府下の被害が最も大きく、同地では明治43年の大水害とは異なり沿岸部での高波による被害が目立った水害となった。このため、被害地域では大正六年の大津波の名で伝えられているほか、この災害を引き起こした台風は東京湾台風と呼ばれている[2]。
東京湾接近時には、折しも満潮の時刻と重なり、東京の京橋区、深川区、本所区などの東京湾沿岸域や隅田川沿いの区部は著しい被害をこうむった。前後2回にわたって高潮が押し寄せ、佃島、月島、築地、品川、深川地区などが浸水。月島、築地、洲崎方面の増水が激しく、多くの人が溺死した。東京府の死者・行方不明者数は日本全体の半数近くの563人に上った。
千葉県の東京湾岸一帯にも被害を及ぼした。浦安町は全町が水没した。江戸時代を通じ、幾多の水害をくぐり抜けてきた行徳塩田は堤防が完全に破壊され、これをきっかけに東京湾で行われてきた塩田による製塩業の数百年の歴史は事実上幕を閉じた。
神奈川県では橘樹郡が最も激しい被害を受けた。神奈川県内の死者・行方不明者60人のうち、半数32人は橘樹郡での死者だった。横浜港では3,100隻以上の船舶や艀が風浪により転覆、多数の沖仲仕や水上生活者が犠牲となった。同港が日本の経済活動の要所であった時代だけに、日本全体の経済活動も大きな打撃を受けることとなった。
*房総半島南部と神奈川・静岡南部の関係は、ちょうど能登半島と佐渡島の関係に似
ていて地震の多発地帯となっているので、避けるべきと考えます。
私はつぎの地域の中で候補地を探すことを考えました。
理由 ・海から離れている。
・成田空港選定以前に空港候補地となっている地盤
・山も川もない高台の平坦地
・東京からの絶対的距離が遠くはない
皆様も自己責任で検討ください。
関東圏でも関西圏でも限界ニュータウン(限界分譲地)を論じる人の文章には極小的な住宅地図ばかりが載っていてもう少し広域の地図がないといったいどこのことかわからない。何しろ同一県、同一市でも存在がわからないのが限界地域の特殊性なのだから。
千葉県東北部とやらで、私も照準を当てているのはここら辺。
ここはどう見ても東京湾からも太平洋側からもど真ん中。しいて言うなら北央部とか。千葉県北東部といういい方は改めた方が。
全県を見るとこう。