改めて八街市南部、山武市西部、千葉市東端部における候補地の典型的風景を見てみよう。
海、川、山、丘はない。
海抜40mから50m
こんなに近いところにこんな風景があるとは全く知らなかった。
まるでウクライナ高原(行ったことはないが)、北海道富良野のようだ。
そこは一口で言えば内陸部。千葉県に住んでいて絶対的距離はそんなに遠くないのに何
十年間今日に至るまで一度も足を延ばしたことはなかった。
ほかの千葉に住む多くの人もそうだろう。
成田空港ができるまで広大な内陸部に関心を持ち、そこに行こうとする人はいなかっ
た。かろうじて成田山新勝寺があるがそこは利根川に近い北域と言えないこともない
し。
考えてみると内陸部が取り残されてきたのは今に始まったことではない。
多くの地域で開発発展は海のそば、川のそばの高台から始まっている。貝塚も、上総の
国府も【市原市】、下総の国府も【市川市】そうだ。古墳もそうだ。菊間古墳群、国府
台・栗山の古墳、大田区田園調布の古墳群。
多摩川台古墳群
水辺がそばにあれば貝や魚など食べ物が取れる、飲み水が得やすい、交通の便が良い、雰囲気が明るいなどその理由は容易にうかがえる。
いくら利用しやすい高台の平地が続いても水の確保が難しければ生物は住めない。井戸を掘る、雨水をためるなんてかなり高度なこと。
東京に近い都市でさえそう言える。
今マスコミに出ることの多い東大先端研、小泉悠さんはマイナーな松戸市内の生育地のことを自虐的に語ることが結構あって面白い。東京の隣なのにどうしてと思えるが氏の生育地は松戸市の中でも自衛隊の基地があるなど私鉄に乗り換えてやっと到達できる奥地、へき地とも言えるところなのだ。私も一度も行ったことが無く、地図を見て、へーこんなところかと新鮮な気持ちになるほど。そういえば都立の八柱霊園も同市にある。
東京23区ですらそうだ。かって住んでいたが練馬区は区全体が海無し内陸区域。交通の便も悪く東西には私鉄があるが南北間の異動はバスに頼るしかなく区内異動で1時間かかることもあった。
光が丘ニュータウンができた当初、地下鉄もなく駅まではバス便、周囲の民家はプロパンガス使用だった。
近時に至るまで内陸部奥地に多く見られものと言えば農地【電気による地下水のくみ上げ】、ゴミ最終処理地、外国系廃棄物ヤード、大小の霊園・墓地、ペット霊園、土木建設業者の材料保管地、企業の商品ストック・配送ヤード、老人施設等。
学校の郊外運動場、動植物園・自然公園がある場合を除いて一般の人の目に触れることはほとんどなかった。
世上、というか学問上は南北問題がいろいろ言われているが日本、特に都市近辺では川、海岸エリアと内陸部間の格差が酷いのにそれに気づいていなかった。
限界分譲地を考えることで内陸部問題に気が付くことになった。